あるとしたら自分の命・時間かなって、前の記事でちらっと書いた。
たぶん、諸々のトラブルは突き詰めると「固執」から生まれる。
自分のものだ、渡したくない、損したくないなどのモノへの固執、
自分の考え「だけが」正しいんだ、自分の声「だけを」きいてくれよといった、
コトへの固執。
こういうの全部手放して、何もかもただの借りものだと思えばもっと気楽になれると思うんだけどな。
だいたい、自分で生み出せるものなんてほとんど存在しない。
この身体だって自分でつくったんじゃない。
なんでも全部、生きてる間だけのちょっとのあいだの、借りもの。
一人旅で出会った魅力的な人、特に沖縄で出会った人たちには、固執とは無縁の解放感があった。きっとそれが魅力の根源だったんだな。
じゃあ自分の命って、自分の時間って?って思うけど、「いま、なんかいいな。」「生きてるって感じするな!」という時、そういう瞬間は、それを感じている人だけのもの。
ライブ参戦して熱狂してる時間とか、スポーツ観戦して興奮してるときとか、大好きな人と一緒に過ごしてる時間とか、何か作ってるときとか、自分だけの時間を満喫してるときとか。
こういう「鼓動」だけは、感じている人のもの。
時間、時間っていっぱい出てきたけど、自分の時間=命を感じるその瞬間が、その人のものなんだと思う。
感覚を失わない限りね。
コメント