「温かい」と「ねちっこい」は、違う。
温かさを装ったねちっこさ。
相手を想っているようで、実は自分を大事にしてる。
それが、偽りの温かさ=ねちっこさ。
ガムテープのベタベタみたいにね。
そんなものには近づきたくもないね。
ひんやりと涼しく、冷たいとも感じられる人のほうが、根っこに本物の温かさを持ってる。
温かさは、強調するものじゃないからね。
「私は温かい人間です」なんて聞かれもしないのに言いふらすようなのは、全部ニセ物。
あんたのニセの温かさになんか興味ないね。
冷たい人間と思われるのが怖いから「私は温かいよ」って印象付けて、自分が傷つかないように大事に守る。
それは温かさじゃなく、ただの保身。
気持ち悪い「自分かわいさ」でさ、ねちっこい。
本物の温かさを持つ人間は、それを声高に強調したりしない。
むしろ表面的には冷たく、素っ気ない。
晩秋の風みたいにひんやりしてる。
そのかわり、一切のベタつきが無い。
執着せず、近すぎず、でも冷血漢じゃない。
徹底的に自分のために動き、自分がやることだけをやる。
その姿が巡り巡って、本物の温かさとして万人の眼に映る瞬間が来る。
「誰かのために」「あなたのために」なんていう、得体の知れない言葉を吐くことなく。
ひたすら、「しごと」に注力する。
(「しごと」:その人ならではの活動全般。職業としての「仕事」とは別)
「〇〇のために」なんて強調するのはさ、本当は〇〇のことなんてどうでもいいからだよ。
どうでもいいって思ってるのを隠すために、わざとらしく強調する。
「私は想ってるよ、冷たくないよ温かいよ」ってね。
自分ではない誰かのためを本気で想ってる人間は、強調なんかしない。
そんな必要ないから。
しごとだけで、充分だから。
それが本物の温かさなんだな。
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