純粋な感想を軸としていると、そういう毎日、人生になっていく。
関心の薄い物事や、距離を置きたい人物を「好きになれない」ところでとどめて、それ以外の感想(=厄介な感想)を持たない。
そんな時間はもったいないから、好きな物事・人物に注力する。
純粋な感想の持ち主同士の会話は、感覚のズレが出てきたとしても、人間同士それは当然として、その上での率直な意見交換に発展する。
ズレがほぼ皆無の似た感覚同士っていう場合は、肯定と共感でいっぱいの会話になる。
厄介な感想を持つ人に関しては、真逆の現象が起きるよ。
物事にも人物にも真っ先に非難を向ける、毛嫌いが際立つ、好きじゃないものに注意が偏る、比較して決めつける。毎日、人生がその方向に傾いていく。
一人のときも誰かといるときも常に離れない「ことば」は、もちろん思考の材料でもある。
その思考には「純粋な感想」と「厄介な感想」がたくさん含まれてる。
だとすると、どっちの感想を選ぶかってことに、人生が左右される。
ことばを手放すわけにはいかないからね。
脱力の前後を比べたとき、それが確かに事実だ、ってすごく感じるんだ。
コメント