39.「純粋な感想」と「厄介な感想」③具体例

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ことばは、人間とそれ以外の生物を区切る明確な境界線だと思う。

「ことばにならない!」っていう感情が、ことばの存在があってはじめて成立するものって仮定すると、やっぱり人間が人間らしいのは「ことばを扱うから」じゃないかね。

人間は感情を持ってことばで考える。

ことばにならない何か、っていうのを「喜怒哀楽としての感情」とする。
たとえば、勝利インタビューでよく聞かれる「(うれしすぎて)ことばにならない!」ってやつ。

それに対して38.で挙げた「純粋な/厄介な感想としての感情」ってのは、「ことばで表す感情」とも言い換えられる。

たとえばアウトドアが大好きな人物Aと話してるとする。

実は自分は、特に好きでもなく関心も薄い。でも今はその気持ちは置いといて、Aが自分の体験を語るのを聞く。そういう世界もあるんだな~くらいに受け止める。

これは、「純粋な感想」ね。

自分の好きなものの話じゃないけど、Aの気持ちを受け止めながら否定しない態度。なんか返事するとしたら「へえ~そうなんだ。あんまり知らないけど、楽しかったんならよかったね。」とか。

後日「Aってさ、アウトドアの話ばっかでマジたるい。全然興味ないんだよね、あとなんかむかつく。」と第三者に話したとする。

これは「厄介な感想」ね。

関心がないってとこにとどめないで、アウトドアへの毛嫌い丸出し、Aっていう人物の愚痴にもなってる。

これはほんの一例だけど、ここにみえる違いは些細なものかな?

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