8.生き方そのものを勘違いしていることに気づくまで

ブリッジ

仕事の時間は、利用者や職員という「人間」と多くの時間を共有することでもあった。

人としての根本が試される瞬間の連続。

その日々で「人間がどういうときにどんな感情を持って、他者とどう関わりながら生きているのか」を感じていた。

こういうことは実は、就職する前にはほとんど感じたことがなかった。
感じないというより、感じる機会を意図的に、または無意識に、避けてたんだろうね。

自分の感情と向き合うの、怖かったからね。

でももう、怖がってるわけにはいかなくなった。

・・・自分は?何をどう感じる人間なんだろう?
それが見えてきたし、見ないといけなくなった。

仕事では、自分という人間の感情面と徹底的に向き合わざるをえなくなる。
対決もする。

そういういくつもの瞬間が、知らないうちに人生を動かし始めていた。

・・・そうすると、プライベートで交友関係が広がっていったんだな。

これは、脱力が進んでるっていうことなんだ。

その証拠に、この時期はどこへ行ってもよく話すようになった。

元々話すのも聴くのも好き。
でも力んでガチガチの頃はひねくれてたから、自分の思うところを素直に話せなかったんだ。

中身のある会話をすると、思考が押し広げられて、心を耕されてやわらかくなる。
豊かな重みとか、深みとかがある人との会話には、新しい発見がいっぱいだった。
そういう相手とは意見が違っても、非難し合う展開にはならないから、怒ることもないし。

異なる人間同士だっていう大前提があるからね。
そういうふうにことばを交わせるのが、本物の友だちなんだって思うようになった。

何人もの人の実りある話を聞いてるうちに、「生きる」ことについてすごく大きい勘違いをしてるってことがわかってきた。

それは、こういうことだった。

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