〇唯一無二人間vs.部品人間

不変

今日行った仲良しのカフェの店主と、「社会にある仕事は誰かが辞めてもすぐに代えが効く、部品みたいなものかどうか」っていう話になった。

私は、部品なんかになるつもりもないし、自分が部品だと思ったことも一瞬もない。

福祉関連職から退職した時だって、私が唯一無二の職員だってことは、施設関係者の言動からはっきり伝わってきたしね。

前職場は、代えの効かない人間集団。それが根幹にある。

職員、利用者一人一人、全員違う人間で、それぞれに得意不得意があって、それぞれに必要なサポートがあって、誰かの不得意は他の誰かの得意でカバーしよう、その過程で生まれた問題は一緒に考えて解決して、どんどん前に進んでいく、根幹を変えないために変わって行こうっていう、そういう職場。

唯一無二人間の集団っていうのはかなり強いだろうね。

突発的世界大流行をなんら問題なく乗り越えられたのも、根っこをたどればここに行き着く。普段から一人一人が確立・独立した上で補い合ってるから、余計な摩擦とか焦りが生まれない。

その結果、肝心なことを保ちながら、変わらないために変われる。

でも色んな考え方の組織があるだろうから、私とは全然違う考えもあったらすごく聞いてみたいなあ!!きっと、上で言ったような組織論・仕事論への反対意見はいっぱいあると思うもん。

社会の構成員は所詮部品で、誰かが辞めたら別の誰かが入ってきてそれで仕事が回れば問題ないっていう場面も、もちろんあると思う。

たとえばスーパーのレジ係が「この人にしかできない!」だと困っちゃうよね。スーパーとして機能しなくなっちゃう。

でもさ、じゃあ正面切って「あんたの代えはいくらでもいるよ、居ても居なくてもどっちでもいい、辞めるなら辞めなよバイバイ!」って言われてうれしい?

私ならうれしくはないなあ。

一回傷ついて、それから悔しいから今度は唯一無二の人間になってやるぞ!!!って反発して見返そうとするだろうなあ。

言いたいことはさ、つまり、一人の人間が居なくたって、世界は回る。

私が今この瞬間消えても、世界は回る。

それは、誰にとっても同じ事実じゃん?

世界中誰だって、どんな偉人も賢人も、居なくなったって世界は回る。止まることはない。

居なくて困る人間なんて、どこ探してもいないよ。

でもさ、それだと、

じゃあ何で生まれてきたの?

ってことになる。

いくらでも代えが効くからこそ、代えなんか効かない人間になってやるぞ!!!って、私は思うし、ずっとそれを実行してるつもり!

職種とか関係なくね。

どうせ自分なんか居ても居なくても、っていう気持ちで生きるのか、

たとえ代えの効く職種だとしても「自分は自分さ!」と胸張ってるのかでは、全然違うと思う!

「仕事=自分自身」じゃないしね。

もし、コーヒーなんか何でもいいやって思ったら雨の中わざわざ歩いて今日のカフェに行ったりしないもん。もっと近くのコンビニでいいやってなる。

午前中仕事して、頭に浮かんだ別のことをちょっとまとめたいな、雨の中散歩がてら行くのにはちょうどいいカフェだな、その全部が楽しいな!!って思ったから、行ったの。

楽しさを忘れると、部品人間になる。

部品人間になると、生きてても死んでても変わらない、ってことになる。

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