★★★「場所だよ!(仮)」開く!★★★

活動予定・報告

~子どもの自主的な放課後スペース~

<放課後が、「なんでもいい」わけない!>

7~10才の小学生を対象とした放課後スペース「場所だよ!(仮)」。

運営者は私、なおちゃんです!(伊与田(いよだ) 菜生(なお))。調布市西つつじヶ丘にあります。

8年間働いた保育園は、木がたくさん生えていて、心地よい風が通り抜ける場所。子どもたちは駆け回り、転んでは起き上がり、笑って泣いて泥だらけ!給食が出来上がった頃、泥を洗い流して部屋に戻る顔は、きらきらと輝いています。園庭で一番大きいエノキの木には、ゆったりとしたロープの手作りブランコがかかっていて、どこまでも高く、足で空を蹴り上げるようにしてぐんぐんこぎます。そんな環境での保育、私も心身のびのび子どもたちと笑い合い、ぶつかり合い、まさに今生きている!と日々感じながら働いていました。

一旦退職した後、学童クラブに行ってみました。そこで目の当たりにしたのは、分刻みの時間とルールにがっちり統制され、大人に管理指導されて過ごす子どもたちの姿。見守りの皮を被った監視型保育でした。子どもたちは、大人が決めた分刻みの集団行動を要求され、ルールから少しでも外れると即座に注意されるのです。

「帰るまでの時間、とりあえず命が無事ならなんでもいい」。これが、その学童の保育の率直な印象でした。

でももちろん、放課後は大事な小学生時代の一部。

なんでもいいわけないのです!!

生きていたら楽しいことばかりではないし、思い通りにならないことだらけで叫びたくなる時だってあるし、苦しさも困難もある。それでもやっぱり、毎日生きているのはいいことだな!と感じられるような時間の流れ方。そんな日々をどうやって過ごしたいのか、どう生きるのか、小学生のうちから自分で決めるのを常とすること。

これがとても大事だと思うのです。

毎日をどう過ごすかを決めることがそのまま、人生を自分で決めることだからです。

この姿勢は、管理指導・監視型保育では育たないとはっきり感じました。

これからどういう方向に世界全体が進んでいくのか、見通すのは相当困難だと誰もが感じ取っている、今。たとえると、どこまでも真っ白な空間に放り出されるような感じでしょうか。そんな中で何が起きてもぶれない軸を、子ども自身が心の中に作る。軸とは、自分がどういう人間かを知り、どう生きるかを決める力です。そのためには、小学生時代に、子ども自身が持っている能力を最大限に引き出し、伸ばし、発展させる過程が不可欠です。何ができるかという目に見える能力(認知能力)と、それを下支えする、簡単には折れない精神力(非認知能力)。特にこの精神力は、指導して覚え込ませるものではないと思います。間違いや失敗を含めた実際の体験・体感の積み重ねによって、鍛えられるのではないでしょうか。

実感から学ぶことがすべてだと、強く思います。

自分から興味を持って取り組む。失敗して間違えて、それすら楽しいと感じながらどんどん夢中になっていく!!力強く人生を歩む基礎は、その姿勢を常として身に付けるところにあると思っています。

学校や学童クラブといった、小学生の大半が集まる場所でまだまだ管理指導型の教育・保育が展開されているのならなおさら、自分が一体何をしたい人間なのかを子ども自身がつかみ、実践する時間はとても重要であると感じます。

<こんな場所があったらいいな!>

「宿題もしたいけど、まだまだ、保育園の時みたいに折り紙とかブロックで遊んでいたい。どっちもできる場所があったらいいのに」「学校で算数が楽しいから自分でドリルをどんどん進めたら、先生に怒られた。面白いと思ったことをやっただけなのに、なんで怒られなきゃいけないの?」「なんとか学校や学童のやり方に合わせているけれど、本当は絵をずっと描いていたい」「もっと体を動かす遊びがしたいのに、先生が見きれないから中止になってしまった。なんでだ!」

・・・これらは学童クラブの子どもたちから直接聞いた、小学生の本音です。言葉となって実際に聞こえてくる声、言葉にはならないけれど、姿からあふれるようにして伝わってくる、子どもたちの本当の気持ち・・・その、ほんの一部です。

そうだよな、もっと自分のやりたいようにやりたいよな!私は率直にそう感じたので、とにかく、「算数が面白いと思った気持ちは、とてもすばらしいよ!その先生は、宿題として決めた以外の範囲をやったからっていう理由で怒ったのかもしれない。でも、面白いと思ってどんどん自分で進めるのは、すごく大事だと思うよ。」と伝えておきました。もっと絵を描いていたいと言っていた子は、学童で絵を描いていましたが、使えるのはハガキ程度の小さい紙。そこに窮屈そうに押し込めるようにして鉛筆を動かしているのを見ているのは、心苦しかった。もっと大きい紙にのびのび描けたらいいのに!私も横でその小さな紙に向かい、こんな大きさではほぼ何も表現できないな!と心底感じました。

おやつの配り方もとても気になりました。背筋を伸ばした姿勢で、身動きしていないグループのテーブルから配られるのです。まるで軍隊のよう!当然どの子も早く欲しいので「ふざけないでちゃんとしてよ!」と注意し合う光景を毎回のように目にしました。子ども同士で監視し合っているようにしか見えません。この数分間にいったい何の意味があるのか、私にはさっぱりわかりませんでした。さらにおやつ後10分間の食休みがあるのですが、そこで宿題を始めたと思ったら10分などあっという間に過ぎ、指示によって別の活動へと動かされるのです。やっと始めたところなのに!

ルーティンとなっているので子どもたちも承知の上とはいえ、そもそも分刻みという区切り方が、細切れすぎてせわしない。一事が万事、このような管理指導です。

・・・もっとのんびりできたらいいのに!楽しかったことや悔しかったこと、感じたこと、話したいことを、耳を傾けて聴いてもらえる時間があったらいいのに!誰かにやれと言われたことばかりではなくて、自分が面白い・知りたいと感じることにじっくり取り組む時間が必要!家でも学校でもない、習い事とも違う、放課後のスペースがあったらいいなあ!

 この気持ちがあふれにあふれて、「場所だよ!(仮)」を作りました。

放課後が習い事でパンパンという話もよく聞きますね。月曜はピアノ、火曜はスイミング、水曜は塾、木曜はバレエ、金曜は英語・・・これは一例です。他にも、学校が終わって学童クラブに行って、その後さらにそろばんや塾に通うという子どもたちにも出会いました。

習い事そのものがよくないと言っているのではありません。ただ、あまりにも詰め込むようなスケジュールにすると、スキルを獲得する以前に子どもがパンクしないかと心配になるのです。もし私なら、毎日習い事なんて気持ちが張り詰めてしまって耐えられません!学校に行って授業を受けて、先生や友だちと話したり関わったり観察するだけでも、全身の感覚を目一杯に使って心身はパンパンに膨れ上がっているのです!話したいこと、聴いてほしいこと、とにかく走り回って発散したいような気持ちなどなど・・・それらが全身を駆け巡り、次から次へと外に出てきます。楽しかった、悔しかった、これはヘンだと思う、先生はこんなこと言ったけど自分は違うと思う、もっとこうなったらいい、本当はこうしたい・・・話もしないで、ただ一人で放っておいてほしい時だってあります。毎日生きていたら、感じることだらけなのです!そして、感じたことは発信したくなるのが自然です。感じすぎたら一人で放っておいてほしいのだって、子どもも大人も、誰でもそうなのではないでしょうか。子ども、大人という区分は存在しない。誰だって、ただの人間なのです。

7~10才では、だんだん自分の姿が自分で見えてきて、得意や不得意を明確に感じ始めます。他の人に伝わる方法を日々のあらゆる場面から学び取りながら、自分の気持ちをだんだんと言葉にしていきます。他人の姿が見えてきて、自分と比較し始めます。そして他人という存在をはっきり認識し、自分とは違う気持ちを持っていて、それはどんなものかというところに理解が及んでいく。新しい発見や驚き、興奮、落胆、戸惑い、迷い、不安、喜び、新たなエネルギー・・・子どもは社会的には、環境を自分で選べません。置かれた環境のなかでこれらの無限の感情を抱えながら、毎日懸命に生きている。心の中で起こるそれらすべての成長変化を無数の場面ごとに感じるたびに、表し切れない何かが絡まり合って、乳幼児時代には無かった葛藤を抱える、そんな時期。

大変だなあ!率直に、そう思います。小学生は大変!突然、今までとは比べ物にならない巨大な集団に放り込まれて、遊びの毎日から一転して勉強が始まる。そして心の中では絶えず、諸々の気持ちが渦巻く・・・でも立ち止まるわけにはいかず、毎日必死に生きている。

そんな小学生が、自分の気持ちを中心にして過ごすのが、「場所だよ!(仮)」です。

<場所だよ!(仮)で何をする??>

 できることは、遊びと自習です。

場所だよ!(仮)に来たら必ず行う遊びがあります。一人1冊渡すスケッチブックに何かを表現することです。文字を書いてもいい、数字でもグラフでも、地図でも図形でも線でも、もちろんイラストや絵でも。真っ白い紙に向かって、ゼロから自分のアイディアを表現する体験。何でもいいと言われて困ったり、自由に動くことに戸惑うのではなく、それが常という姿勢を身に付けるのです。その一つのきっかけとして、真っ白い紙に向かうことをします。スマホやタブレットのようなディスプレイではなく、紙の上で自分の手を動かすことが重要です。それが最も単純で、気を散らす余計なものがないからです。どんどん構想が広がっていくことにも対応できるよう、大きい紙も用意します。

 また、絵本と本を多く置き、自由に開いて見る、読めるようにします。物語に入り込んで登場人物と一緒に冒険する体験は、自分の気持ちに気づいて表現する力、他人の気持ちを想像する力に直結します。どんな時代でも、人間として生きるには不可欠です。絵本は乳幼児だけでなく、何才になっても見るものですので、当然小学生も対象です。読み聞かせの時間も取ります。絵本はやはり、人の声によって読み聞かせをされることで絵とことばが心にしみわたるのだと思います。絵本によってひらかれるのは、自分の視野がすべてではないという、多様な人と共に生きる世界での大前提でもあるのではないでしょうか。物語、科学、図鑑、写真など幅広い種類の絵本を置きます。本は、何版も重ねている小学生の定番を。子どものその時々の興味関心にも応えられるようにします。その他、指先を使って空間をどう使うかを考えるブロック、何度でも好きなように作り変えられるのが良いところである粘土、身体全体を使うけん玉、対戦を楽しめるボードゲームやトランプ。

 以上を想定しています。スケッチブックと絵本・本は必ず置きますが、その他玩具等は子どもの興味関心によって対応します。

 少し歩くと広場や公園もあるので、人数によっては外遊びもできます。

 自習形式で宿題ができます。家に帰る前に済ませられます。

 遊びと自習を組み合わせる、遊びだけ、自習だけ・・・何をするかは子どもが自分で決めます。私が様子をみて、何をするのがベストなのかを一緒に考える、きっかけを作るということはあるかもしれませんが、自分で決めて実行するのが基本です。

 緑がすぐそばにあって、騒音も無く静かな「場所だよ!(仮)」。

 どんな展開になるのか、とても楽しみ、ワクワクです!!

運営者 伊与田菜生(いよだ なお)

所在地 東京都調布市西つつじヶ丘

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