お金でもなんでも「自分のものだ、あるんだ、失いたくないんだ!」なんて思うから固執するんだ。
ない。何も。
あったとしても今だけの一時的なもの、流れて廻って(めぐって)いくものなんだ。
そう思えば、「離れないで!ずっと自分のものでいて!」なんて思うこともない。
自分のものなんて思うこと自体、驕り高ぶり!
完全に近い自給自足生活の人でさえ、地面や太陽や雨がなければ何も得られないんだし。
自分のものってなんだ?そんなのどこにもない。
なんでもかんでも、今ちょっと借りてるだけなんだ。
お金も食べ物も家も服も何もかもね、借りてるだけ。
唯一自分の「時間・命」はあるかもしれないね。
あると思えばね。
形じゃなく過程なんだというくくりでいえば、何か描いたり創ったり演奏したりという時間は、たしかに「その時だけの、その場にいる人だけのもの」ということになるかも。
固執とは対極の、循環の一部としての自分というのを考えると、気楽!脱力だね。
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