生きるのってサバイバルだよな。
安心安定なんてどこにもないし、そんなもの確保しようとするのは卑しい。
癇癪のせいで友だちを失ったときに何が一番つらかったかというと、ニュアンスのバリエーションが減っちゃった点。
友だちとか知人って、みんな一人一人違うの。
同じ内容の話でも対面してる相手によって、出てくることばも心持ちも、違ってくる。
それは無意識のうちに、この人とはこういう感じで、こういうニュアンスで話したいって思ってるからさ。
その人の「感じ・ニュアンス」が、友だちによって一人一人違うんだ。
友だちを失ったってことはさ、せっかく自分にはないニュアンスを持ってことばを交わせる相手を、失っちゃったんだよ。自分の言動のせいでね。
それが、つらかった。
もちろんもっと心情的に、この人ともう友だちとして会えないかもしれないって思うのも、つらかったよ。
真っ白な心で、自分にはない感じで一緒にいられる人、それが友だち。
サバイバルの中でそういう人がいるかいないかで、状況が全然変わってくる。
「癇癪」のとこで書いた、友だちが味方ってそういう意味ね。
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